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『母の看取り』のなか、個展開催を決意しました!
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- 今年3月、娘の手を煩わすことを一番に心配しながら膵臓癌発覚と告知後1ヶ月という速さで旅だった母。
絵描きの夢を抱きながら、なかなか一本立ちできない私を最後まで気にし続けていました。
ちゃんと世に認知され人に喜びを感じてもらえるような絵描きにならなければ母はあの世に行っても私を心配し続ける・・・
「なんで大阪芸大きたん?本気で絵描きなりたいんやったら東京やろ。」学生時代先輩に叩きつけられた文言が自分の中にずっとあった。
画家を目指すといっても簡単な世界ではない。個展を開催しただけでは画家にはなれない。見にきてくれる人、絵を気に入ってきちんと購入してくれる人、沢山の感動がその会場に生まれなければ画家にはなれない。だから怖い。怖くて挑戦できずにいました。
最後のチャンスと思って上京してのこの2年、沢山の人に応援してもらってきた東京。
産まれて生きて50年以上の歳月を過ごし私を育ててきた大阪。2都市巡回で今まで積み上げてきた画業の全てを多くの方に観てもらいたい!!
あちゃろうの活動、応援よろしくおねがいします。 -
今回のきっかけについて
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- この3月、母を看取ったことでなぜもっと早く寄り添えなかったかとかなり後悔しました。
母とは長い間の確執があり、子ども時代の仕打ちが許せなく充分に感謝できなかったこと。
夢ばかり追って現実的にアーティストとして食いぶちを稼ぐこともなく、
ノラリクラリしてきたこと。
個展をしたり販売ルートに乗るなどの結果を母に見せることができなかった後悔。
長患いで私の時間を奪うことが一番怖いといっていた母、それをちゃんと回避して1ヶ月で看取りを完了させ壮絶な死を私に見せてくれた母へのレクイエムとして
自分の集大成的なプロジェクトを何がなんでも成功させなきゃと思っています。
それともう一つ。
私は長い間路上での投げ銭(実際は投げません。笑)で絵を描いてきた時代がありました。
それも今となってはかなり貴重な経験であったと思います。
その時まだまだ絵は下手くそで、でも若くて勢いのあった私を観て沢山の方が、この絵がお宝鑑定団に出せるくらい頑張って!とか有名になって!など声をかけられながら『おひねり』をもらっていました。
昭和版手渡しクラファンですよね(笑)
その声かけの全ては将来こうなってよッという『予祝』をいっぱい振りかけられていたんだなぁと今ならわかります。
その時、人前で、それも路上で恥ずかしくても私の前に座ってくれた方や私の頑張りに応えたいと進んで絵のモデルになってくれた方々の「この絵大切にします」の言葉にちゃんと応えたい。
「あ、あの時この絵を描いてくれた人だ!!」って思てもらえるように自分の名前を届けられる絵描きさんになると約束します。それが私の夢だからです。 -
こんな世界を創り出したい!
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- 似顔絵の仕事であれば商業施設の企画持ち込みやイベント申込など
一般的な参加は探せばいくらでもあるし、それを大阪などで長いことやってきました。
しかし私はただの似顔絵描きで終わりたくない。本心を言います。
「あちゃろうが生きている間に自分の絵を描いてもらいたい」と遠くの場所や外国からも
足を運んでもらえるようなアーティストになる。それを叶えるはじめのステップがこのクラファンだと思っています。大きな事、言いました。
でも、遠慮して、またいつか、チャンスが来たらって、こんなに絵の腕を磨いてきたんだからどこからかお声かかるよ、と甘い夢ばかり観ていました。
東京に来て本当に刺激受けました。絵の技術だけじゃダメだ。動かなきゃ。名前を売る活動が伴っての実力なんだとハッキリわかりました。
今回の活動を通して経済的な基盤を自分の絵で築きたい。それが得られないのであれば
頑張ってきましたなんて嘘です。頑張ってきましたって言えるのは絵でちゃんとお金をいただいて尚且つ相手に感動してもらえる自分になってからだ。
お金の使い方を知りたいです。お金のもらい方も下手くそです。
お金は貯めるが正解と思ってきました。循環させればちゃんと潤うなんて東京に来てから知りました。今からでも遅くない。
クラファンへの参加、ワクワクします。
私の活動もこんなふうにワクワクして応援してもらいたい。
プロジェクトを通して沢山の人々に逢って自分をアピールしてそれがクラファンの一票になれば素晴らしい循環が生まれる。
そう信じて邁進して参ります!! -
『スタンダップ~Stand Up!~』一色亜貴子初個展
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- 7月の半ば新潟へ。
自分の可能性を語り仲間同士で予祝し合う大嶋啓介さんの講演会に向かう途中のことでした。
初めての個展タイトルを決めかねていた私の頭の中に『スタンダップ』と言う響きが前触れもなく降りてきました。
「しっかり自分で立って夢に向かって出発したい」
そんな意味の言葉を含んだ展覧会ネームを付けたくてクラファン原稿に追われていた私に
『スタンダップ』そのままの言葉がシンプルに突然降りてきました。
スタンド・アップとかでなくて・・・
そしてダップという響きが何か別の意味に取られることがあるのか?っと少し心配になって
調べたところ
・「拳を軽く合わせる挨拶」「カジュアルでヒップホップ文化的な仲間内での挨拶」
・「Give me some dap!」拳をコツンとしようぜ!
・軽く叩く。ポンと触れる
・(古風な用法で)ぺこぺこお辞儀をする。敬意を表す仕草
あちゃろうの人生の中で触れ合ってきた仲間からの『グータッチ』
軽くポンと叩かれ「あちゃろう頑張ってるじゃん!」の声が聞こえてきそうなニュアンス
そしてあちゃろうが「ありがとうございます!」ってぺこぺこお辞儀をする感じもめっちゃ想像できて、このダップに込められた意味にクスクスって嬉しくなってきました。
幼い自分は母から「早くしなさい」「ぐずぐずしなさんな!」っとかなり叱咤されてきました。
だけど今ならわかります。母が言いたかったこと。
それがこの『スタンダップ』
あなたの人生しっかり立って行きなさい
母からのエールがこの響きと共に降りてきた。そんなふうにも思えた瞬間でもありました。
『スタンダップ〜 Stand Up!〜』一色亜貴子 あちゃろう初個展
これからの絵描き人生の始まり!
是非個展会場に足をお運びいただき軽くポンと グータッチ
よろしくお願いいたします!!
【東京会場、大阪会場、ただ今日程調整中!決まり次第アップいたします!】 -
最後に!
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- 私は絵描きとして世に出たいです。
それはなぜかというと
今まで応援をしてくれた多くの方々の期待に応えたいからです。
棚の上に、押し入れの中に、「もしかしたら」という思いと一緒に
私がかつて描いた絵が日の目を見ずに据え置かれているかもしれません。
この絵描きの道端修行時代に描いてもらった人の
審美眼を、先見の明を信じてもらった感謝を力に変えて描き続けてきました。
後がない、今やらなければ、ただの絵の上手なおばちゃんで埋もれてしまう!?
どこかの山師がこれは光る原石だといって引っ張り上げてくれることもない。
自分の力を信じてあきらめず、ただひたすら絵を描いてきた自分を見てもらう。
そしてこれからも描いていく自分を見てもらえるすごいツールが
クラウドファンディングだと知りました。
今だ1ミリも世の中に注目されてない絵描きの頑張る姿を観て
これから応援してくれる皆さまに感謝の気持ちを込めて似顔絵を描いて届けたいです。
そして
私が描くその似顔絵はただの似顔絵ではないと思っています。
そこには祈りがあって芸術が存在しています。
絵で描かれることでその人自身の存在価値を深く感じてもらいたいです。
気を衒ったもの、大掛かりなもの、現代のアート表現は多岐にわたっていますが
人間讃美が根底にあるものを芸術と呼ぶと信じて描いています。
世の中のみーんなが
あちゃろうが生きている間に絵を描いてもらいたいって遠くからでも足を運んでもらえるような絵描きさんになる。
そんなあちゃろうの初めてのクラファン大成功に力貸したったでって
支援者の方々に自慢してもらえるプロジェクトにできるようワクワクで頑張ります!! -
活動歴
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- 1970年 大阪府富田林で生まれる
1983年 中学,高校と全寮制のPL学園に入学
1989年 大阪芸術大学美術学科彫刻コースに進学
1993年 同大学美術学部副手として勤務
1994年 似顔絵を描く魅力にハマり道端修行を開始
1995年 大阪私立小学校図工専科期教員となる
1997年 渡伊。ファエンツア市の工房にて学ぶとともに欧州各国のアートをめぐる
1998年 各地のアートイベント、百貨店や商業施設などに似顔絵コーナーを展開
2004年 インターネットによる受注制作を開始(似顔絵工房ドットコム)
2013年 絵の工房『寺内町がれりあ』を
大阪府富田林に構えギャラリー兼アートショップ,
油画絵画作品等,常時展覧しワークショップなど人が集う場所を展開
2018年 父の介護を視野に入れ介護施設に入職(2021年 介護福祉士の免許取得)
看取り等、生死に触れ人間を深く考える
2021年 YouTube『スケッチマン』をスタート(介護施設で知り合った仲間と共に!)
2022年 バイクで日本一周しながら出逢った人や風景を描きYouTubeに配信
(絵の描き方動画やアニメ模写などを含め465本以上の動画を現在配信中)
2023年 作家の ひすいこたろう先生の名著『あした死ぬかもよ?』に感銘を受け
「私の人生,このまま絵の上手なおばちゃんで終わりたくない‼︎」
と一念発起東京に引っ越し!
開運系YouTuberマッチさんの『世界一ゆるいYouTube大学』に入塾
(ヌードを描けると画家として『あなたのヌード描きます』開講など)
2024年 どこでも描ける『スケッチマンあちゃろう』として日々キャラクターを磨く
お名前ポエムと似顔絵を描いて贈る『名前はラブレター』活動を展開中
2025年 3月母永眠。始まりは母に褒められたくて描いてきた絵の道。
これからも目の前の人々の存在讃美をアートで表現。
クラファン挑戦など作家活動に奔走!! -
資金用途
- 個展開催費用
画材道具一式
交通費